2006年06月05日

秋田県藤里町の児童殺害事件に思う

「児童殺人(事件)」や子供たちが巻き込まれる多くの社会事件はいったい何を教えているのか。それは金と物(生産第一主義、物質万能主義、拝金主義)を第一とする社会から人民の安定と安心、社会環境の安全、そして真の人間性と尊厳ある政治と社会への転換を求めた唸りであり、叫びであり、現代社会の告発≠ナある!

人類史における大転換(革命)は、歴史科学の必然であり、それは偶然を通じて達成される。歴史の必然を信じ、一心不乱にこの道を進み、いかなる偶然にも正しく対処できる核としての資質を高めよう。ここに先進的幹部、中核的幹部、前衛的幹部の現段階の課題と任務がある!

 日本の子供たちがいたるところで「受難」にあい、大きな社会問題になっている。最近の典型的事件は秋田県藤里町における女児の不信死と男児殺人事件であった。しかも六月四日、男児殺害の容疑者として逮捕されたのは何とその女児の母親であった。この事件は小さな田舎町の同じ町営団地で、同じ小学校の児童が犠牲にあっただけに全国に衝撃を与えた。子供たちは虐待、殺人、交通事故、火災事故など現代特有の事故、事件にさらされている。
 子供たちの問題は単独の問題でなく、大人の問題であり、社会の問題であり、政治の問題であり、日本の問題である。日本社会を覆った児童をめぐる事故、事件はいったいわれわれに何を提起しているのか。ここにも歴史科学と時代認識が反映している。
 「子供は社会の鏡である」とよく言われる。子供に映った日本社会の姿はどうなっているのか。それは日本社会の告発であり、日本政治への警告であり、底辺の唸りであり、阿鼻叫喚であり、歴史への警鐘である。現代は独占と帝国主義の時代であり、それは頂点に上り詰め、腐敗・堕落し、もう歴史的に見て、古く、人類社会に通用しなくなった。最後の帝国主義、アメリカは、もうイラク戦争や、財政危機、移民問題でも、すでに手におえなくなり、帝国としての機能が瓦解しつつある。日本でも社保庁の腐敗・不正振りに象徴されるように独占資本主義、「政・官・財の癒着」はほころび、いたるところに膿が吹き出ている。社会の分野では児童殺人、奇妙な事故や事件の続発、交通戦争や自殺の激増となり、政治の分野では政治不信、無党派層の増大、政党の離合集散や無定見な連立へ、経済と生活の分野ではニートの増大、格差社会、貧富の格差、隣人愛の喪失、家庭や地域社会の崩壊、人間関係の不穏当を生み出し、これが日本社会にますますの混乱と混迷、漂流と混とんを出現させた。
 ここに現代の時代認識がある。児童殺人や児童事件、すべての社会問題、その根底には時代の転換、新しい時代、新宇宙を求めた歴史の叫びが反映している。たとえそれが政治上であれ、何であれ、あるいはそれが小さな事件であれ、大きな事件であれ、すべては歴史時代の現われである。
 先進的幹部、中核的幹部、前衛的幹部にとって大切なことは、こうした歴史が提起した課題をしっかりと受け止め、独占支配とその「政・官・財の癒着」、自民党政治を終わらせ、大衆社会、民衆社会への転換を誓い、人民による人民のための人民の国家と社会をめざし、われわれのマニフェストを力強く展開しなければならない。

最近の児童事件の特徴はその悲惨さであり、身近さであり、「まさか」が現実のものとなっていく時代である。日本社会の腐敗・堕落は、かつての「古きよき時代」を崩壊させ、ふるさと、隣人愛、地域社会、人間関係、人間性を奪い取ってしまった。

 四月九日、秋田県・町立藤里小学校四年生の畠山彩香さん(九歳)が町営朝日ヶ丘団地の自宅を出たまま行方不明となり、翌日、藤琴川の下流で水死体となって発見された。五月十七日、同じ団地に住む藤里小一年、米山豪憲君(七歳)が自宅前で行方不明となり、翌日、米代川沿いの草むらで遺体となって発見された。容疑者は豪憲君の二軒となりに住む母親であった。
 藤里町は青森県境の世界遺産・白神山地の南に広がる風光明媚な町である。粕毛川上流の素波里峡、藤琴川上流の太良峡は渓谷美に優れ、県立自然公園に指定され、山と川に抱かれた小さな田園の町は、米作、アユの産地で知られる。人口は四三〇〇人。
 大人たちは「古きよき時代」を守らんと必死に生きていた。団地は過疎化が進む中、人の流出防止の一環として九四年から九七年にかけ二八戸建てられたが、ここには比較的若い夫婦が移り住んだ。しかし、団地の内と外では温度差があり、住人交流は薄く、祭りなどの行事も別扱いであった。団地は町の「孤島」であった。それでも同じ学校に通う子供たち同士は仲もよく、共に遊んだり、あいさつする大きな声、元気な子供たちの姿は町の自慢であった。
 事件はこうした小さい、のどかな町、地域社会の中で起こったのである。彩香さんの「事故」後、「ご近所安全マップ」をPTA総会で配布、安全教室を開いたり、住民ボランティア団体が「藤里町の子どもを守る会」をつくり、集団下校への付き添いをしていた。それでも五月、豪憲君の事件は起こったのである。これでも子どもたちは守れないのか、と。町内は一変した。町に歓声は消え、暗くなり、疑心暗鬼は募り、マスコミ報道とも相まって、ますます人間関係に角が立ち、気まずいものとなっていった。小学校でも「知らない大人には気をつけるように」「外に出るときは必ず大人に付き添ってもらうように」と子供たちに教える。子供がいるある母親は「挨拶の習慣はいいことだと思っていましたが、不審者にもそうと知らずに挨拶しているのか……」と複雑な表情を浮かべている。町長は「学校の送り迎えは正しいのか。やっぱり普通じゃない」と役場の幹部たちを前に嘆く。教育委員長でお寺の住職は「子供を守りつつ、大人に対する子供の不信感をどう取り除くか、大きな課題です」と。
 藤里町の事件は子どもたちの安全と児童問題、地域社会の安全と治安にとって、日本の縮図である。昨今、日本のいたるところで藤里町のように登下校中の子どもが関係する事件が続いている。昨年十一月、広島市で下校中の小一女児が近所に住むペルー人の男に殺害された。十二月、栃木県今市市(現日光市)で小一女児が下校中に行方不明に、茨城県の山中で遺体で発見(未解決)。今年に入るや二月には滋賀県長浜市で幼稚園男児(五歳)と女児が(同)園に向う車中で同級生の母親に刺殺される。三月には川崎市のマンション十五階から下校中の小三男児が無職の男に投げ落とされた。そして四月、五月の今回の藤里町の事件である。
 子どもたちは「受難」である。子どもたちをどうしたら守れるのか。大人たちはなげき手を焼いている。最近の児童事件をよく見れば身近で、地域や、周辺で、「まさか」と思うことが起こっている。これらのものはみな連動している。長浜市の事件は保護者が交代で園児を送迎していたが、その母親が事件を引き起こした。この事件は中国出身の母親であった。広島市の事件も犯人は近くに住むペルー人であったが、文化の違い、人間関係の悩み、子育ての悩み、ねたみ、複雑な感情移入も手伝い、ついに暴発し事件となった。すべてはグローバル化した社会、生活環境、現代社会特有の産物であり、事故、事件は終わることはない。川崎市の児童マンション投げ捨て事件も事業の失敗、無職のストレスをかかえた男の犯行であった。
 五月二十日、今度は佐賀県唐津市で、小学五年生の男児がひき逃げされ、山の道端に放置され、犯人は山中に逃走、二十四日逮捕された容疑者はいみじくも「子どもをはね、これで人生終わった」と思ったというが、「交通戦争」の現代、誰もがいつ彼と同じ運命に出会うかわからない不安定で、危険、微妙な時代である。
 五月二十六日、大阪府和泉市で留守番をしていた幼児三人(七歳、四歳、一歳)が、火災に巻き込まれ死亡する悲惨で切ない事件があったが、これも幼子を時間差で留守番させてでも、両親が働かねばならない、経済的、社会的事情……。
 日本人は複雑な社会環境、心身に及ぶストレスの増大、いつコントロールを失うかわからない状態に置かれている。地元の能代署によると、藤里町で凶悪事件が起きたのは「記憶にない」という。町も村も、日本のいたるところで人間社会の崩壊にさらされている。すべては階級対立と階級闘争の反映であり、現代社会の縮図であり、悲劇的産物である。

児童殺人、児童事件、多くの社会的犯罪に「人間」を陥れた真犯人(根本原因)は、腐敗・堕落し、金と物にとりつかれ「野獣化」した独占と帝国主義である。彼らがブルジョア・ジャーナリズムを使い、盛んに主張する「人間性悪説」を暴き、人民の立場、「人間性善説」に立脚し闘争せよ。

 マルクスはどこかで「近代ブルジョアジーは人間の良心も、友情も、隣人愛も、自然も、環境も金の力で奪い取ってしまう」と言っている。日本の現実はこのとおりになっている。まさにマルクス主義は正しく、真理である。
 実り豊かな稲穂、のどかで素朴な田園風景、藤里町に代表される「古きよき時代」は、日本のいたるところから消えて久しい。その根本原因はどこにあるのか。科学的わが人民戦線政策は次のように言っている。「あらゆる客観的事実が示す本質的な問題の根本は、すべては国家と権力のあり方、国家と権力の性格と性質が問われているのであり、ここにすべてがある。つまり、独占資本とその支配権力こそが根本問題である。『ブルジョアジーは自分の姿に似せて世界をつくる』(マルクス)のである。独占資本とは、最大限の利益追求を本能とする階級的集団であり、その結果、彼らの権力とその支配国家は、生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、自由競争という名の弱肉強食、その結果としての貧富の格差拡大、人間性そう失、人格否定、物欲主義的人間の増大、自然破壊と災害の激発、という社会になってしまった。犯罪と暴力、事件と事故、対立と抗争、連帯と協力と共同のそう失、混乱と混迷と混沌の世界、これらはすべて国家と権力、独占資本の支配が生み出した歴史上の産物である。あらゆる事件と諸現象はここに根本原因がある。そして歴史はこれを変革せんとして激動している」
 現在の国家と権力はもう時代遅れになり、転換を求めて、あがき、苦しみ、唸り声、阿鼻叫喚の叫びを上げている。社会保険庁の不正や腐敗が国会で糾弾されているが、それは氷山の一角であり、長官の交代や反省で解決されるような代物ではない。もう国家の腐敗振りは網の目のごとく浸透し、ついには一番弱い児童社会まで手をかけるようになった。もうおしまいである。自民党をぶっ壊すと叫んで台頭した「小泉改革」は危機のあらわれであった。「小泉改革」は現代の「魔性」であった。その「魔」は幼い子ども社会へ押し入り、親子、兄弟、地域社会や人間関係、すべての人間社会に迫ってきたのである。今社会では「格差社会」などとの言葉で表現されているが、実際にはもっと厳しい社会の出現、児童殺人や奇怪な犯罪と腐敗・堕落した社会が出現したのである。景気の「いざなぎ超え」が言われているが、回復したのは財閥と金融(銀行)資本だけではないか。人民と大衆、庶民は将来への不安に駆られ、危機感のなかにある。生活困難と労苦、やりくり、そして児童殺人や児童事件、すべてはその反映である。大衆の生活感、体感はまちがいない。
 日本の先輩であり、アメリカの先輩でもあるイギリスは「英国病」に苦しんだが、それは社会の犯罪と無秩序であった。アメリカもそれに続いて「米国病」に取り付かれた。それは「デカダンス」(退廃主義)、「シニシズム」(冷笑主義)、「懐疑主義」「不信」「無力」「幻滅」であった。イギリスは鉄の女と称されたサッチャーにその解決を求めた。アメリカはソ連を悪の帝国と叫び、力の政治を信奉したレーガンに託した。しかし承知のとおり「サッチャー革命」も、「レーガン旋風」も大騒ぎをしたが、結局は何も解決しなかった。腐敗堕落した社会、分裂した社会、統治能力を失った今のアメリカやイギリスをみればわかるとおりである(自ら起こしたイラク戦争でさえもうコントロールできなくなった)。日本も「不治の病」におちいり、イギリス、アメリカに続こうとしている。歴史は一時「小泉改革」にゆだねたが失敗し、むしろ腐敗・堕落の「日本病」を増大させただけであった。それが幼児殺害や少年事件に代表される各種社会事件であり、悲惨さであり、事件の身近さであり、「まさか」の事件を多発させたのである。歴史は今また社会の変革、時代の改革を求めて「変らずに生き残るためには変らねばならない」と主張する「豪腕」「破壊者」といわれる新生民主党の「小沢一郎」に向きつつある。
 「小泉改革」がそうであったように、歴史は今や手段、方法、やり方で問題が解決され、打開される時代ではない。そうではなく金と物、つまりは生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、自由競争という名の弱肉強食の独占支配(政・官・財の癒着)を根底から破壊し、人間性、人間の尊厳、心と自然の豊かさを第一にする社会、そのための大衆社会、民衆社会、人民社会への転換、すなわち革命的変革が求められているのである。民主党の小沢一郎も手段としての共生や、政権交代や、二大政党ではなく、このような根本的変革をめざさない限り結局は、サッチャーの道であり、レーガンの運命であり、独占と財閥だけを救った第二の「小泉改革」であろう。
 彼らにはやはり不可能である。それを成し得るのは歴史科学の道を前進するわが人民戦線路線だけである。それだけにブルジョア・ジャーナリズムが最近特に主張する「人間性悪説」について明らかにしないわけにいかない。
 「人間性悪説」、つまりは「だれが悪い、彼が悪い、犯人が悪い、家庭が悪い、教育が悪い、あの宗教が悪い、あの政党が悪い、あの政治家が悪い、あの政府が悪い」という、人類の歴史上、二千年の前からくりかえして言われている同じパターンのくりごとなのである。そしてこの理念と思想は、理論的には観念論哲学であり、政治的には独占ブルジョアジーの権力思想であり、歴史的には法家派(ほうか派〜古代中国の諸子百家の一つ、国家は法にもとづく厳格な政治のみが統治における唯一の道であると説く)思想であり、独裁権力思想である。
 これにまっこうから反対し、これと正面から対決するものがわれわれの基本理論と思想認識論、つまり労働者階級と人民の思想、人民戦線思想であり、それは「人間性善説」から出発する。つまり人間とは歴史的なものであり、社会的なものであり、環境の産物である、とする。歴史が人間をつくり人間を変える。社会と環境が人間をつくり人間を変える。現代世界のいっさいの悪は、現代の歴史的情勢と社会環境、つまりは独占資本の権力支配という歴史環境とその法則、すなわち「物質万能主義と拝金主義、自由競争という名の弱肉強食、精神の荒廃と人間性のそう失」という法則が生み出す産物である。
 これがわれわれの科学的見解であり、基本的な態度である。

現代の歴史時代が要求し、その要求に応えて闘う核、先進的幹部、中核幹部、前衛分子が確固として堅持し、実践すべき政策と方針(マニフェスト)は何か。それはわれわれの人民政権政策であり、ここに人民の光があり、王道がある。

 「急がば回れ」という。それと同じように児童社会の危機、日本社会の腐敗・堕落をみた大人たちは早く何とかしたいと思う。当然である。しかし安易な道はない。「小泉改革」でもない、あるいは「改良と修正」の「豪腕・小沢流」でもない、最後を決するものはやはり原理原則であり、歴史が要求する科学的な政策と方針である。それはつぎの三項目、われわれの人民政権政策(マニフェスト)をおいて外にない。
 (一)独占資本主義と帝国主義の時代はもう古くなり、もう時代遅れになってしまった。戦争と内乱、暴力とテロ、あらゆる犯罪はこのような古い体制の矛盾の産物であり、それ自身が国家と社会の転換を求める怒りの爆発なのである。
 日本においては「政・官・財の癒着構造」を破壊して、人民による人民のための人民の政治を実現すること、ここに歴史時代があり、歴史の要求があり、歴史の進歩を促進させる新しい時代がある。
 (二)そのための運動と闘いこそ、過去の歴史上の転換期が教えているとおり、それは新しい時代を背負う階級、新興階級、現代では人民大衆が推し進める人民運動、人民闘争、人民戦線運動である。
 独占資本と帝国主義に反対するすべての人民が、それぞれの立場から、反独占・反帝国主義の旗のもとに団結し、統一した闘いと運動を進めなければならない。そのための旗じるしこそ「人民戦線綱領!」である。この旗のもとで闘う人民戦線運動は歴史の要求であり、歴史の必然である。いくらかの曲折があったとしてもこの道は必然であり、ここに歴史の王道がある。
 (三)新しい国家と社会、政治とその権力の母体は人民戦線であり、その執行機関は人民評議会である。人民大衆はそれぞれの所属する層ごとに結集し、団結し、統一し、組織をつくり、そこで共同と協力と共通の意思を確認し、政策と方針を確立する。各界、各層の共同の意思は、人民戦線運動と評議会に結集され、まとめられ、これを評議会として執行する。これが本当の民主主義であり、自覚され、意識された真の民主主義である。
 以上である。政府や権力、ブルジョア・ジャーナリズムは「安全な国」の復活をめざすとして、警察権力の向上や、監視カメラの設置、法律の改正や強化、などを盛んに主張している。これではますます泥沼に陥るだけである。行き着くところはアメリカのような住宅地を高いフェンスで囲うゲーテッド社会である。日本でも大阪府藤井寺市や茨城県日立市ではすでにブロック塀と防犯カメラ・警備員に囲われた別空間(防犯の街)が出現している。これは分裂社会のはじまりであり、非人間的な社会である。
 われわれの人民政権政策、ここにわれわれのコミュニティがある。

結び

 ▽ 人民による人民のための人民の世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ!
 ▽ 生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする!
 ▽ 金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む!
 ▽ 人間は生まれたときから環境の産物であった。環境が変われば人間も変わる。国家と権力が変われば国民は変わる!
 ▽ 人類が最初に、はじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティ国家と社会へ。ここから本当の人民の社会、人間の社会が生まれ、人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するだろう!
                                                               (完)
posted by 日本人民戦線 at 10:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同意です。
Posted by 名無し at 2006年06月05日 11:04
スポンジボブが大好きですw
Posted by 名無し at 2006年06月05日 11:06
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