2006年03月15日

「人民戦線の旗のもとに」3月号

アメリカ帝国主義(独占資本)の全世界制覇をめざす「市場原理主義」の本質を暴露した『文芸春秋』(三月号)掲載、藤原正彦教授(お茶の水女子大)の論文に注目しよう!


わが人民戦線綱領が早くから提起してきた同じ本質論を、異なった立場から同じ方向に向って論ずる、という人民戦線的あり方の見本としてここに紹介する!


 数学者・お茶の水女子大の藤原正彦教授は『文芸春秋』(三月号)に『愚かなり、市場原理信奉者』と題する論文を発表している。その論文で、「一割の勝ち組みと九割の負け組み。これでいいのか」と厳しくかつ鮮やかに市場原理主義を批判している。藤原教授の主張は正しい。その核心的内容は、次の点にある。
 『バブル崩壊以来、市場原理主義が恐ろしい勢いで日本を席巻している。市場原理さえ浸透すれば経済は回復する、との神話がわが国を覆っている。催眠にかかったごとく、その線に沿った改革の嵐が吹きまくっている。規制緩和、ビッグバンなどは言うまでもなく市場原理を働かせるためのものである。「官から民へ」「小さな政府」「中央から地方へ」なども、中央の規制を除き、市場原理を保障するためのものである。市場原理と自由競争は一体だから、その結果、わが国は激しい競争社会に突入した。自由に競争して、勝った者だけが情け容赦なくすべてを取る、という方式である。公平に戦った結果だからよいではないかという理屈である。弱肉強食、食うか食われるかの世界である。けだものの世界である』と。
 藤原教授の言っていることは誠に正しく、そのとおりである。
 ここに小泉政権が推し進める市場原理主義、自由競争、規制緩和の本質がある。藤原教授が『文芸春秋』で強調しているのは、小泉政権の市場原理主義はアメリカの道であり、破滅の道であり、人間社会ではない、けだものの世界である、と断言している。アメリカも日本も帝国主義と独占支配の時代に到達し、完全に腐敗堕落してしまった。市場原理主義に見られる現実は国家と社会の転換抜きにもはや何も解決しないことの証であり、時代は新しい世界に到達しつつあることを証明した。
 『人類はいま二十世紀をしめくくり、二十一世紀に移行した。二十世紀は人類史における巨大な転換点であった。科学的歴史観の示すとおり、転換とは爆発であり、収れんであり、破壊と建設であった。そして偉大な転換と収れんと建設の二十一世紀のために二十世紀は爆発し、破壊され、血を流したのである。確かにこの時代は生産力は向上し、物質は豊かになり、科学は進歩した。消費ブームは頂点に達した。しかしその反対に、貧富の格差拡大と人間性のそう失と戦争と暴力による大量殺人をひきおこした。それは生産目的が人民のため、人間自身のためではなく、独占支配のための利潤追求のみだったからである。人間が人間らしく生活し生きる決定的なものはその心であり、尊厳であり、人間性である。人間が人間であるための原点たるその心と尊厳と人間性を復興させるため、人類史はいまその土台たる物質生活のあり方、生産力と生産関係のあり方、国家のあり方が問われている。二十世紀は自らを総括して二十一世紀に解答しなければならない。それが現代という歴史時代なのである』(人民戦線綱領)。

藤原教授は何を言っているのか。その正しい主張をよく聞いてみよう。

 藤原教授は『文芸春秋』三月号に掲載した論文と同じことを二月八日付けの産経新聞にも書いている。産経新聞に掲載された文章の方がより解りやすいので、ここでは産経新聞に掲載された文書の重点を紹介したい。藤原教授は次のように言う。
 『昨年出版した「国家の品格」(新潮新書)の中で私はこう書きました。
 「経済改革の柱となった市場原理主義をはじめ、留まるところを知らないアメリカ化は、経済を遥かに超えて、社会、文化、国民性にまで深い影響を与えてしまったのです。金銭史上主義に取り憑かれた日本人は、マネーゲームとしての、財力にまかせた法律違反すれすれのメディア買収を、卑怯とも、下品とも思わなくなってしまったのです」
 実名こそ挙げませんでしたが、ライブドアの堀江氏の言動を念頭において書いたものです。
 ▼安定失う社会
 なぜこんなことになってしまったのか。市場原理主義です。
 一例を挙げましょう。「会社は株主のもの」という論理に立てば、経営者は短期で成果を出さない限り更迭されてしまいます。そこで登場したのが、これまでの日本の経営者が手をつけようとしなかったリストラと成果主義です。成果主義は、優秀な人材にとっては昇給のチャンスとなりますが、普通の人材には確実に収入減となるシステムです。さらに正社員の雇用を抑え、人件費が半分ですむ非正社員の雇用を増やす。こうして従業員の忠誠心と対になった終身雇用という、世界で最も優れた制度が捨てられつつあります。
 一所懸命勉強し、それなりの学校を出ても新規採用は少ないし、大企業に就職しても、安定も得られず、いつ解雇されるか分からない。それなら、はじめからコツコツ勉強したり地味な仕事を続けるより、IT寵児でも狙った方がよいという風潮がはびこることになります。堀江氏が若い人々の憬れとなったのは、むべなるかなです。
 また、いま少子化が大きな問題になっていますが、その根本的な原因は、市場原理主義によって社会が安定を失ったところにあります。国民は感じているのです。こんな社会に子供を送り出しても幸せになれるとは思えない、と。さらに、子育てには女性にも男性にも膨大な労力が求められます。それが成果主義の中ではハンディとなってしまう。子供を持つことに積極的になれないのは当然です。
 ▼勝者と敗者
 市場原理主義は、自由競争を妨げるとしてあらゆる規制の撤廃を求めます。しかし、規制は弱者を守るためには絶対に必要です。ボクシングで規制をはずし、どこを殴ってもよいことにしたら、判定勝ちという曖昧な結果はなくなり、すべてKOで決着がつくことになるでしょう。
 つまり、市場原理主義は勝ちでも負けでもない普通の人々の存在を許さず、国民を少数の勝者と大勢の敗者に二極分化してしまうのです。
こうした社会では、国民は「勝ち馬」に乗ることばかりを考えるようになります。国民総風見鶏ですね。
 ▼貧富の差拡大
 市場原理主義に蹂躙された社会がどうなってしまうのか。それはアメリカを見れば明らかです。経営者の平均年収が十三億円、一般労働者は三百万円。そして、乳幼児死亡率はあの貧しいキューバよりも高いのです。多くの人が医療保険に加入できないためです。生き馬の目を抜くような社会だからこそ、弁護士と精神カウンセラーがわが国の何十倍もいて繁盛するのです。
 現在、OECD(経済協力開発機構)加盟三十カ国の中で貧富の格差の最も大きな国はメキシコ、次いでアメリカです。日本は何番目だと思いますか。かつて国民総中流といわれた国が、あっという間に世界で五番目に貧富の格差の大きな国になってしまったのです。
 日本は、世界に誇る国柄をかなぐり捨てて、アメリカのような野卑な社会を目指してひた走っているのです。
 国民はおぼろげながらこんな社会に不安をもっており、それが閉塞感となっています。なのに、この閉塞感の元凶が市場原理主義ということには気付かず、その申し子である堀江氏に声援を送っていたのです。
 今回のような事件が起きるとすぐに法の整備となります。仕方ないともいえますが、基本的に私は、六法全書の厚い国は恥かしい国だと考えます。今回の事件の本質は、市場原理主義が経済、社会ばかりでなく、日本人の美しい価値観を傷つけているということです』
 以上のとおり、藤原教授の提起はまったく正しいものであり、この点ではわれわれの主張と完全に一致している。藤原教授は異なった立場から同じ方向を討っているのである。ここに、反権力で統一せよ、という人民戦線思想の本質があり、人民戦線綱領の生きた実践がある。

わが人民戦線は早くからこの問題については詳しく提起してきた。わが人民戦線綱領をひも解いてみよう。

 人民戦線綱領は『二十世紀は現代独占資本と帝国主義の国家に人類を支配し治める能力のないことを証明した。二十一世紀は人民民主主義にもとづく人民の世紀である』という項で次のように提起している。
 『一九九九年夏に発表された国連開発計画(UNDP)の報告によれば、世界で所得の多い上位二〇%の人たちと、所得の少ない下位二〇%の人たちの所得格差は、一九六〇年には三〇対一だったのが、一九九〇年には六〇対一、九七年には七四対一、となった。こうして貧富の格差はますます広がり、これは国際的傾向であるとともに、世界中の各国内の傾向でもある。もちろん、アメリカ国内でも貧富の格差は拡大する一方で、それが人種対立と犯罪大国アメリカを生み出しているのである。
 そのアメリカ独占と帝国主義が世界に展開しているあの「市場原理」、「自由競争」、「規制緩和」という美しいスローガンの実態は何かという事実をイギリスのサッチャーリズム症候群にみることができる。サッチャー以後のこの国はどうなったのか。イギリスの産業はみなアメリカ資本に乗っ取られてしまった。かつて世界に冠たる大英帝国の誇りであった自動車メーカーも、大銀行もみなアメリカ資本に買収されてしまった。イギリスはイギリスでなくなった。国がそうなら人間もそうである。国内の南北の格差はいよいよ深まり、労働組合の力はなくなり、高額所得者と貧困層の格差はますます広がり、アメリカ的な消費社会は急速に拡大し、ドラック市場はサッチャーリズム以降一挙に広まった。古き良き伝統だったスコットランド人気質や、働く職場の労働者たちの連帯はみな解体してしまい、そこには金(カネ)の有無だけがすべてを決定するという、物質万能主義と拝金主義的人間社会が生まれた。すべては金だ、すべては自分だけだ、すべては食うことだ、という動物的本能の人間社会になってしまった。犯罪、人種対立、暴力、テロは急速に広まった。いまや古き良き英国紳士の姿はない。これがサッチヤー症候群の本質であり、サッチャーリズムの結末であった。結局市場原理と自由化とは、巨大独占資本にとってのものであり、一般人民にとっては人間性そう失・弱肉強食の世界であった。そして現代のグローバリズム、国際化、自由化とは、つまりはアメリカ独占資本と帝国主義の世界支配、世界制覇のことなのである』と提起している。ここで示されたイギリスの現実は、日本の問題であり、現代世界の問題なのだ。
 あらゆる客観的事実が示す本質的な問題の根本は、すべては国家と権力のあり方、国家と権力の性格と性質が問われているのであり、ここにすべてがある。つまり、独占資本とその支配権力こそが根本問題である。
 独占資本とは、最大限の利益追求を本能とする階級的集団であり、その結果、彼らの権力とその支配国家は、生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、自由競争という名の弱肉強食、その結果としての貧富の格差拡大、人間性そう失、人格否定、物欲主義的人間の増大、自然破壊と災害の激発、という社会になってしまった。犯罪と暴力、事件と事故、対立と抗争、連帯と協力と共同のそう失、混乱と混迷と混沌の世界、これらはすべて国家と権力、独占資本の支配が生み出した歴史上の産物である。あらゆる事件と諸現象はここに根本原因がある。そして歴史はこれを変革せんとして激動しているのである。
 過去の歴史を振りかえってみればわかるとおり、独占と帝国主義の本質は支配と収奪、戦争と殺りく、貧困と抑圧、分裂と抗争、暴力とテロであり、ここに戦争とあらゆる苦難の根源がある。資本主義の到達点、最後のらん熟したこの時代はもう人類史には通用しなくなった。時代は民族に独立を求め、国家に自立を促し、大衆に自覚をあたえ、こうして歴史は新しい自由と平等と真の民主主義的世界を求めて爆発と収れんを展開している。これがあらゆる現象の根元である。地球上最後の帝国主義たるアメリカもまた、過去の帝国主義と同じように戦争を通じて崩壊せんとしている。そして歴史は帝国主義時代を消滅させ、つぎの時代、つまりは、民族は独立し、国家は自立し、人民は自覚し、こうして共同と協力と連帯の世界を一地点、また一地点へと作りあげ、大衆の時代、人民の世界を作りあげるだろう。これが世界史の流れであり、これが現代の歴史時代である。
 日本においても同じことである。独占資本の支配権力たる「政・官・財の癒着構造」と自民党一党支配はもはや古くさくなり、その統治能力はそう失してしまった。歴史は新しい時代としての大衆社会、人民の時代、自由と平等と人権国家と社会を求めて大きなうねりを引き起している。それが政治腐敗と堕落、政治不信、政党の無能、無党派増大、漂流社会、いたるところに発生する犯罪と事故と事件と混乱、混迷、混沌という社会情勢である。こうして歴史はやがて全面的な大転換を求めて爆発し、収れんされていく。その先にあるのは大衆の時代、民衆の世界、人民による人民のための人民の国家と社会である。
 これが現代世界であり、歴史時代であり、時代認識であり、われわれの世界認識である。
 すべてをここからみつめなければならない。

わが人民戦線綱領が示す人類社会の未来とは何か。

 歴史科学はいまやすべての道が人民民主主義にもとづく人民の世界を求めている。二十一世紀は人民と人民戦線の時代である。歴史がそのように求めれば求めるほど、独占と帝国主義はそれに逆らい、自己支配を維持するため新右翼主義、新民族主義、新しいファシズムをめざしていっそう反動化する。故に人民と人民戦線は自己の隊列を整えて闘う以外にない。ここに勝利の道がある。
 この運動と闘いの旗じるしは次のとおりである。
 (一)地球上のすべてにおいて、人類社会において、何よりもまず、人間としての尊厳を確立し、人間性を打ち立て、権利と自由と民主主義にもとづく連帯と協力と共有・共同の社会を実現する。人類の未来は新しい型のコミュニティ社会である。
 (二)そのための大前提こそ国家と権力を人民の手に移すことである。すべては権力(の本質)が決定する。最大限の利潤のみを追求する独占的財閥と帝国主義の権力と国家を破壊し、人民権力と人民政府の樹立。
 (三)すべての闘いと運動の先頭に人民戦線運動の合言葉を高く掲げよ。
 ◎人民戦線とは独占的財閥と帝国主義的支配に反対するすべての勢力の統一戦線であり、「批判の自由、行動の統一、政治活動の自由」という人民民主主義的団結と統一体である。
 ◎人民戦線とは真の人間性、真のヒューマニズム、真の人間愛にみちた集団であり、人民権力、人民政府の母体であり、われわれの国家である。
 ◎生活と権利、自由と民主主義、独立と平和、人間性と人間の尊厳をめざす人民闘争、人民戦線、人民権力万歳。
 以上の三原則である。
 以上の立場から闘いと運動を進めていくうえで決定的な問題、勝敗を決めるカギとなるのは核の存在であり、その権力である。
 組織せよ、組織せよ、そして組織せよ。権力を組織することにこそわれわれの運動と闘いの帰結点、到達点がある。勝利と敗北のカギはここにある。権力は誕生し、成熟し、勝利に達するまで、常に運動し、爆発し、収れんしていく。そして最後は権力が決定する。
 権力の発生と成長はすべて歴史的なものであり、そこには必然と偶然が作用する。現代の歴史的情勢と条件が示す権力に関する科学法則は、独占と帝国主義の国家と権力は、つぎの時代たる人民大衆による人民権力にもとづく人民の世界と国家に転換せざるを得ない。これは必然である。しかしこの必然が完成するためには一定の歴史的条件(偶然)が介在する。これは必然をめざす核と人民戦線の闘いとその運動の力量と歴史の成熟が生み出す。したがって、幹部と先進分子は、必然の道、王道を一貫して歩くこと。この道を一貫して前進すること。この必然性が、必ず偶然と結合して、すべては達成される。それはまた、歴史の必然なのである。

結語

 人民戦線的世界とその人間像はつぎのとおりである。
 ◎国家・社会・生産活動の目的を最大限の利潤追求のためにするのではなく、すべてを人民と人間の豊かさのためにする。
 ◎生産第一主義と物質万能主義ではなく、人間性と人間の尊厳を第一にする。
 ◎金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさを第一にする。
 ◎着物や建物の美しさではなく、働く人びとの生きる姿の美しさを第一にする。
 ◎一人だけ自分だけが急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなといっしょに力をあわせて進む。
 ◎存在(環境)が人間(の心)を決定する。存在(国家と権力)を人間(人民)のものにせよ。ここに人間性善説が最終的に勝利する。
posted by 日本人民戦線 at 21:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
人民戦線運動について考えた。右翼民族主義者でもある情勢の下では権力との闘いのなかで一翼を担えるのだ。
Posted by 長内太郎 at 2006年03月18日 10:46
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