2006年02月26日

スターリン問題に関する歴史学論争

スターリン問題に関する歴史学論争
一九九九年十一月にインターネット上においてスターリン問題についての論争が行われた。

十一月二十一日に開かれた中央の学習会で、その内容が紹介され論議がなされたが多くの貴重な見解が発表されたのでこれを整理し、まとめることにした。

したがってこの内容はスターリン問題に関する歴史学論争へのわれわれの回答であると同時に、マルクス主義党における科学思想と党派性の基本認識でもあることを確認したい。

日本共産党(行動派)中央委員会・書記局
(二〇〇〇年一月一日)

論点の1
「すべてはフルシチョフのスターリン批判からはじまった。そこから党と国家のブルジョア的変質→社会主義の変質→ソ連の崩壊へとすすんだ、というがそうではなく、社会主義の行き詰りと反スターリン的ソ連国民の声を代表したのがフルシチョフであり、ソ連の崩壊は歴史の必然であった」ということについてのわれわれの回答。

一国の政治を支配し、その運命を決定するのはその政権を掌握している党派とその政治権力の思想、政治路線、およびその政策であることは歴史が教えているとおりである。ソビエト社会主義を創世させ、六十年間の偉大な成長と発展を遂げさせたのはソビエト共産党とレーニン・スターリンであった。十月革命、一九一八年以後の三年間にわたる外国干渉軍と国内の右翼反乱軍との戦争、ナチスによるスパイと反革命かく乱、第二次世界大戦と反ファシズム解放戦争などをすべて勝利させたこの歴史的事実をみよ。そしてスターリン時代には後進国ロシアを近代工業国家に転換させ、東側の社会主義陣営は西側の資本主義陣営をあらゆる面で圧倒して冷戦時代をつくりあげた。冷戦時代と東西対立とは階級的に見たとき、それはまさに資本主義と西側にとっては恐怖の世界であり、自らの危機の世界だったのだ。だから危機だ、危機だと叫びつづけていたのである。
このように目を見張るような社会主義の現実を高く評価した人びとは世界中にたくさんいたが、そのなかにはあの反共の闘士たる故小泉信三氏だけではなく、現政府の国務大臣で経済企画庁長官たる堺屋太一氏も「実際にソ連の社会主義経済は一九六〇年頃までは発展しつづけていた。それが悪くなったのは一九七〇年代以後だった」と言っている(一九九二年二月一日付産経新聞「風と炎と」)のである。だから一九六一年に開かれたソビエト共産党第二十二回大会であのフルシチョフ自身が「一九八〇年代までにソ連は市民一人当りの生産高で完全にアメリカを追い越すであろう」と言い切ったのである。これだけの巨大な勝利をもたらしたのは歴史学の示すとおり、レーニン、スターリンとその権力の偉大さであり、人民の信頼と指導政党の偉大さであった。これらの歴史的成果をぶち壊したのがフルシチョフだったのである。
フルシチョフのスターリン批判は西側陣営、つまりは資本主義陣営を代弁していたのだ。だからフルシチョフが死んだときはソ連人民は誰も見向きもしなかった。死亡記事はプラウダの片隅にひっそりと報ぜられ、その葬式は家族と友人だけの寂しいものであった。それに反して一九五三年三月五日にスターリンの死が公表されたとき市民はいっせいに外に飛び出した。人びとはまっしぐらにクレムリンに向かって走った。赤の広場は群集であふれ、異常な事態のなかで千人以上が死傷した。ソ連人民はこよなくスターリンを敬愛していた。もしフルシチョフの言うとおり、スターリンの圧政に苦しんでいたならこういうことはおこりえないし、逆にあの過酷な国内戦や、ナチスのスパイ工作とスターリン暗殺計画、第二次大戦下ドイツ軍の侵攻、などのときにソ連国民は反乱をおこしていたはずではないか。まったく反対にソ連人民は、スターリンと共に団結して戦った。そしてスターリンの死に対するあの行動である。これらの歴史的事実をみるがよい。事実のなかにこそ真実がある。ここに歴史学の基本がある。

論点の2
「スターリンの暴力と大量虐殺は許せない」ということについて。

暴力とは国家と権力そのものである(「国家論」と「人民戦線綱領」をみよ)。殺すのが悪いというのであれば人間の歴史は戦争と殺人の歴史であり、この世の中に国家の指導者でよい人は一人もいない。二十世紀は大量破壊兵器による戦争と殺りくの世紀であったというこの歴史をどうみるのか。古代奴隷国家ではどれだけ奴隷が殺されたか。キリスト教徒はあの十字軍戦争でイスラム教徒をどれだけ殺したか。第一次世界大戦と第二次大戦で六千万人が殺された。第二次世界大戦以後ですでにもう二千万人も殺されている。
二十世紀は一億七千万人が殺された。ヒトラーはユダヤ人を六百万人も殺し、日本軍国主義は中国侵略の十四年間に三千五百万人を殺し、日本人もまた三百十万人が殺された。アメリカは原爆で日本人の五十万人を死傷させた。
暴力と戦争と殺人というものはそれなくして人類の歴史は存在しなかったのだ。このことを理解できない人物はとうてい歴史を語る資格はない。そういう人物はしょせん観念論の世界、空想と妄想と幻想の世界をさまよいつつ歴史的に価値なき人生をおくる徒食家にすぎない。問題の本質は、どのような歴史的時代に誰が何のために、誰のために誰に対して行った暴力と殺人だったのか、ということなのだ。
スターリンは階級的殺人者たちに対して階級的殺人をおこなったのだ。十月革命の前後ロシア皇帝はどれほどの人民を殺したか。あの外国干渉と国内右翼反乱軍はどれほど人民を殺したか。一九三〇年代に帝国主義陣営とナチスはどれほどのスパイとかく乱を展開したか。スターリンは人民のため社会主義と人類の歴史の開拓者としての使命と責任にもとづいて殺人者を殺した。それは歴史上の英雄たちがみんなそうしたように、そうしたのだ。これがわからない人たちは、自らが資本主義と帝国主義と独占支配の側、その陣営に立っているからわからないのであり、われわれはそういう人たちに期待はしない。

論点の3
「社会主義は消滅した。しかし社会主義の良い面、その精神は現代資本主義のなかに採用されている。社会福祉政策が一例で、資本主義は改良されつつ発展している」ということについて。

この論は、社会主義とは何か、資本主義とは何か、ということについての基礎的理論を経済学・政治学・哲学・歴史学にもとづいて何ひとつとして理解できていない。社会主義とは国家とその権力を労働者階級と人民が握り、執行する社会であり、資本主義とはブルジョアジー(現代では独占資本と帝国主義)が握り執行する社会である、ということ。すべての性格は権力の本質が決定する。だから社会主義的権力が資本主義的権力のなかに「採用」されるなどということはまったく考えられないことである。そこで問題なのは資本主義のなかに採用されている、いわゆる社会福祉政策についてであるが、これはもうまったく歴史のなかで明らかなように、これこそブルジョアジー(資本主義・独占・帝国主義)が人民を支配し、権力に従わせるための「あめ」であり、「湯気抜き」であり、衆愚政治の一手段なのだ。もちろんその背景には大衆の怒り、大衆の闘い、社会の矛盾の激化がある。しかしいずれにしても社会福祉政策が社会主義であろうはずがないし、そしてまたそのことによって資本主義が改良されているなどとはまったく歴史を知らない無知な言論だ。なぜなら、資本主義は独占へ、そして帝国主義へと、人類社会はますます「戦争と内乱、民族紛争と国境対立、宗教戦争と部族抗争、暴力とテロ、汚職と腐敗、政府の無能と無策、あらゆる犯罪と事件」が歴史の進行にあわせて激しくなっているではないか。これがわからないのはものごとを俯瞰(ふかん)視できないまま、自分の身のまわりの小さいことしか見ない小市民だからである。
ここで決定的なことは歴史を科学としてみないご都合主義(ミーイズム)である。科学的でないものがこの世にあるだろうか。科学を否定すれば宇宙も、地球も、人類も、われわれ自身も存在しないであろう。人類社会は永遠の過去から永遠の未来に向って発展し、前進するのだ。そうであるかぎり、資本主義制度だけがただひとり、永遠に不変であるはずがない。そして社会主義もまた絶対性と相対性を通じて完成する。

論点の4
「スターリン時代は怖くて何もいえなかった。スターリンが死んではじめて自由になったからスターリン批判を提起した」というフルシチョフの言い分について。

こういう言い分はまさに裏切り者、背教者、臆病者のせりふである。怖くてものが言えないのは小人物だからである。人民と歴史に忠実な革命家は生命を賭して闘うのだ。卑怯者の小唄とはこのことである。裏切り者はいつでも自分を高く見せるために前任者をたたく。過去を否定することによって自分を正当化する。組織人として、組織の一人として、当時の総意にもとづく決定に従った自分の行動に責任を感ずることなく、あっさりと過去を否定するのは、まさに歴史の否定であり、自分の過去もまた否定されるということである。否定するものはやがて歴史によって自分そのものが否定される。フルシチョフの死後はそのようになっているではないか。これは人間性の問題、人間としての良心、人間のあり方の問題である。こういう人間に歴史は何も期待しないであろう。フルシチョフは完全に抹殺されているではないか。こういう犯罪人の言うことをまだ信ずるのか。信ずるものはやがて自分自身が歴史に抹殺されるであろう。ここできわめて重要なことは組織人としてのマルクス主義党と党員の行動規範についてである。党の組織と機関においては「批判の自由と行動の統一」がはっきりとうたわれている。そのうえで個々の人間が何も発言することなく決定や議決を承認した場合、それは発言する必要もなく承認したということ。つまりそれほど積極的に賛成したということなのだ。党というものはそのように積極的にものごとを判断するものなのだ。したがって何人も、その決定と決議に責任を負わねばならない。これは党と組織体にとっては生命であり、個人と組織の相互関係のイロハである。このようなことすら自覚しないフルシチョフが如何に程度の低い人物かがおわかりであろう。こういう人物の言うことを信ずる人物もそれ以下の程度の低い人間だということになる。いずれにしてもフルシチョフ的非人間性、非組織人、非マルクス主義的党員の運命とは、それが実際に教えているとおり、歴史を否定するものは自分が否定され、組織原則を否定するものは組織によって否定され、マルクス主義を否定したものはやがて人民にとって無価値な人物と断定されるであろう。否定の否定(弁証法)である。

結論

スターリン問題に関しては理論上、歴史上、哲学上の立場からすでに大武礼一郎議長によって明らかにされている。それは『アカハタ』一九九一年十一月二十五日付「スターリン万歳!」、一九九五年一月二十日付「正統マルクス主義万歳!」、一九九六年一月一日付「国家論」、一九九七年一月一日付「歴史科学万歳!」、一九九八年一月一日付「五大妄想主義批判」、『人民戦線の旗のもとに!』一九九九年一月二十日付「科学思想万歳!」においてである。しかしこれらの思想文献が理解できるための要素は次の五項目であり、またこの五項目こそがこの種の論争に決着をつける最後のカギとなる。

(1)ビッグバンからはじまった宇宙と地球と人類史の科学的発展法則からすべてを見ることができるかどうか。人類史上のすべてのできごとはその歴史科学の産物として認識できるかどうか。歴史が人間をつくり、歴史が英雄をつくりだし、人間と英雄は歴史にこたえて生き、運動し、闘いつづける。歴史は科学である。

(2)歴史科学の法則は否定するものは否定される。故に真の歴史は止揚される。つまりは継承されつつ克服(否定)される。宇宙も、地球も、人類も、われわれ自身もそうではないか。哲学を知れ。

(3)人類史における運動と変化、発展と前進の原動力は常に生産するもの、労働者階級と人民の闘いと運動であった。自分はいったいどちらの側に立っているのか。階級的立場を明確にせよ。

(4)認識は存在の反映である。存在、つまりは実践と行動なしには理解できない。実践し、行動しない者には理解できない。しかし歴史は実践と行動を生み出すと共にその反映としての認識と理解をつくり出す。最後はわかる。

(5)故に論争に決着をつけるのは運動であり、闘いであり、実践と行動であり、歴史であり、権力である。科学思想万歳!
posted by 日本人民戦線 at 15:25| Comment(2) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スターリン批判から50年、フルシチョフやゴルバチョフは忘れられ、輝くのはスターリンのみ。ここに歴史科学がある。
Posted by 静香 at 2006年02月26日 16:09
スターリン万歳
Posted by at 2006年02月26日 16:30
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